メンヘラのひとりごと。

メンヘラ・キモ=オタク

メンヘラ、機動戦士ガンダムNTの感想を書く。

 

 

ナラティブ見てきました。

 

はじめに、

 

・ネタバレを含むこと

ガンダムには100人いれば100通りの捉え方があるのであくまで僕の意見であること

・楽しんでいる人の邪魔をしたいわけでないので余韻を崩されたくない場合は見て欲しくないこと

 

この辺の点を了承してもらった上でこれからの文章を読んでいただきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでははじめます。

 

 

僕はこの映画が発表されたとき、そもそもの時点で多くのネガティブを抱いていました。

その要因は僕の好きな閃光のハサウェイを映像化して欲しくない点であったりがあるんですが、一番はこれからのガンダムのスタンダードを作っていきたいと言いながら今までの作品の続き物にしてしまっていた点です。

なぜかというと、コンテンツとして長く続いてる全てのコンテンツに言えることですが、コンテンツを長生きさせていくためには新規層の開拓が何より大事なことの一つだと考えているからです。

もちろんこれまで応援しているファンを蔑ろにしていいわけではありません、が続き物になればなるほどそれについていくのは膨大な知識量と時間を必要としていってしまいます。

ガンダムではとくにその面が顕著に出てしまっていると思います。作品一つ一つの情報量はもちろん、臆せず言えばファン層の頭の固さも大きな壁と言えるでしょう。

 

そんな中でユニコーンという作品の続きの作品を含め、宇宙世紀の比較的前後の流れを把握していけないものを次世代のスタンダードとするという意見はとてつもなく危険を感じました。

 

ユニコーンは素晴らしい作品だと思います。作品の本来の出来はもちろん、スタッフの方々の作品に対する思いが強く伝わってきてとてもいい作品だと思います。

しかしその分、好きな人が集まってできた作品ではあるのでどうしても内輪の作品であることが否めないなと考えています。よく出来すぎていると。

 

僕の意見としては宇宙世紀の本筋はやはり富野由悠季の思想が強く現れているものだと考えています。その中で機動戦士ガンダムUCは、言ってしまえば「公式(ここでいう公式は原作者富野由悠季ではなくガンダムの権利を現在所有しているサンライズバンダイのこと)が作った最強の二次創作物」であると定義しています。

 

勘違いして欲しくないのはだから全て富野由悠季が作ったものだけが至上であると言いたいのではなく、あくまで宇宙世紀ガンダムという大きな枠組みの一つでしかないと僕は考えていることです。

言い方を変えれば宇宙世紀固執する必要はもうないのではないかと言うことです。

 

富野由悠季が作り出した宇宙世紀からもう脱却してそれぞれ新しい時代の大河で「ガンダム」をしていけばいいと、そしてそれが新たな層を取り込んでまた「ガンダム」の世界を広げることにつながると。私はガンダムというコンテンツを愛する身として今後の展開をそこに求めています。

 

ニュータイプという存在がガンダムの魅力の一つであることは分かります、しかし全てではありません。もうニュータイプに頼る必要は無いのではないかと感じています。ましてや富野由悠季逆襲のシャアの時点でニュータイプの決着はついたと話しています。

 

そうなれば言ってしまえばもう終わったニュータイプについての話を掘り返していくのではなく、人の核心について表現していきたいのであれば自らの画用紙にそれを描いていく次元にはいっているはずなんです。

その点においてユニコーンはもう一度ニュータイプの話をしてしまっています。しかしユニコーンという作品の性質上それは許されたことだと思います。「公式の作った最強の二次創作物」であるユニコーンは、一種の同窓会であったからです。かつてガンダムを愛した人たちが、現在ガンダム愛する人たちがそれぞれ集まって遊べたお祭りのようなものだったと私は考えています。

しかし毎日同窓会をやっていていいのかと言われれば疑問が生じます。もちろんそれぞれ本来の道筋があってこそ同窓会は映えるものではないでしょうか。

 

そんな中発表されたプロジェクト、そしてその第1作目を飾る機動戦士ガンダムNTは、同窓会の続きでした。

ユニコーンの一年後という舞台設定で、主人公は新規キャラではありますが物語とキャラをかたどる設定はかつてのガンダムの情報を色濃く受け継いだものです。

完全新規作品と謳いながら、その完全新規作品を見るためにはユニコーンの視聴、さらにそのユニコーンの充分な理解ためには多くの過去作品の視聴が前提です。

 

新作が生まれることはとても喜ばしいことです。しかしその新作がガンダムというコンテンツを広げていく新作としての機能を果たせるかと言われたら僕は疑問を捨てきれません。

 

そんな中で情報が開示されていけばいくほど、関連インタビューなどでユニコーンの原作者であり今回のナラティブの主要スタッフである福井晴敏や他の主要スタッフの方々はしきりにニュータイプの解釈について語ってきました。

もうニュータイプに関してはお腹いっぱいでありそもそも終わった話であると感じていた僕は、それを軸に話を進めていることに大きな心配を抱きながら作品の公開を待っていました。

 

 

 

前置きが長くなりましたが、そんなことを考えながらようやく公開を迎え、僕は正直「文句を言いにいくぞ」という気持ちで鑑賞してきました。

 

 

 

それぞれの感想を述べていきたいと思います。

 

 

・作画面

戦闘シーンはとても魅力的に感じました。激しいモビルスーツのかっこいい動きに合わせて場を引き立てるアップテンポのBGM。ガンダムだけでなくロボットアニメの醍醐味とも言えるこの戦闘シーンはとても良かったと思います。ただその反動か、一部キャラクターの作画が怪しかったのを否めないのではと思いました。そういうタッチであると言われればそれまでなのですが、ユニコーンの直系の続きと言いながらユニコーンから出ているキャラですら最初誰かわからないという印象を抱いてしまいました。具体的にいうとマーサの登場シーンなどです。

 

・演出面

事前のインタビューなどで逆襲のシャアを意識した激しいカットの切り替えを導入したと聞いていたんですが、悪い意味で作用していたのかなと感じました。物語において集中が切れてしまう面が多々あったのではないかと、特に中盤コロニー内に向かう前の人物の会話などでだれてしまうのを感じてしまいました。

あと主要キャラ3人を時間の移動で軸として描くことで物語に深みを出そうとしてるのは理解できたのですが、3人のキャラの子供時代の演技がおそらく子役の俳優さんがやっていたのが、妙に絵のタッチや雰囲気に合ってないと感じてしまいその演出の意図は僕にはよくわかりませんでした。

 

過去作の映像を流すというのはガンダムという作品が長く描かれてきたことのアピールになって確かにいいとは思いますが、一つ一つのシーンを大事に振り返っていたかと言われると疑問に思います。

雰囲気は出ていたと思いますが一つ一つのシーンにそれぞれ思入れがあるからかさらっと流されると雰囲気だけが流れていってるなと感じてしまいました。

 

 

・物語

単純に時間が足りなかったと思います。

3人の物語が描きたかったのか、ニュータイプ論を伝えたかったのか、ユニコーンの続編をやりたかったのか。

その全てがお互いを邪魔して中途半端に終わってしまったなという印象です。

ゾルタンに関してもそうなのですが3人の掘り下げが不十分に感じました。

作品の進め方として主人公たちの過去の謎を物語の流れとして少しずつ解き明かしていくというのはよくあるパターンですが、途中で見せ方でなんとなく読めてしまうなあとも思いましたし、それを中途半端に引っ張られてもと感じました。そしてなによりキャラに感情移入する描写があまりにも足りなさすぎて、言ってしまえば「かわいそうだね」と他人事のようにしか見えなかった印象です。

ゾルタンに至っては事前インタビューでフロンタルとは反対に絶対的悪として描くと言われていましたが中途半端に失敗作という刻印の劣等感や組織に裏切られた描写があったせいで可哀想なやつに見えてしまってその点でも疑問です。

 

その他のキャラの見せ方に関しても少し疑問が残ります。

マーサの護衛の際に横にいた人物然りシェザール部隊の人間然り群像劇を描くにしては意味が感じられないしかといって物語の描写にそこそこ関わってくるから無視は出来ないしと人物が少し飽和していた感があります。

ミネバに関しても、僕はユニコーンの終わり方が余韻があってとてつもなく好きなんですが、ジオンで苦労している感というか結果的にメガラニカに軟禁されているように見える形になってしまったのはユニコーンの余韻を崩さようで少し納得がいきませんでした。

バナージやガランシェールの描き方に関してはそもそもあまり個人的にその後が見たくなかったのはおいといていい塩梅で出していたのではないかと思います。

 

 

余談でしかもすごく小さな疑問なんですけどバナージの方が明らかにヨナより年下ですよね、なんかすごい生意気に感じませんでしたか最後、まぁ経験したことの凄さでいえばバナージもすごいんでそこに差は無いと思うんですけど「遠いな…」ってええ?ってなりませんでしたか??でもやっぱりあの辺りのバナージかっこよく見えたんでそこに関しては許します。

 

 

 

矛盾点やフェネクスに関する疑問、ニュータイプ論の食い違いなどはまだいっぱいあるんですが、そこは置いといて。

 

 

 

 

何より本当に雰囲気だけで流れていった作品だなというのが作品に対する感想です。

 

そしてそこに関して前述した通り、今後のガンダム作品、当面のネクストプロジェクトを支えていく作品としてとても心配になりました。

 

何だかんだ文句を言いつつもガンダムに対するハードルが期待という意味でとても高まっていた点は否めません。

 

しかし今後のガンダムを支えていく作品が過去作を引っ張って引っ張って作った挙句、雰囲気だけで終わる映画であっていいはずがない。

誤解を恐れずに言うと「ガンダム」という作品、コンテンツはもっともっと出来るはずです。

しっかりとした物語に魅力的なキャラ、一度聴いたら忘れられないBGMや主題歌に、かっこいいモビルスーツ

ガンダム」はもっとすごいと僕は信じています。

そのエッセンスが全くなかったわけではありません、戦闘シーンには眼を見張るものがありましたしBGMもとてつもなくイカしてました。

しかし足りないと、今後のガンダムを支えていくフラッグシップとしてもっともっと強くあってほしい。

 

ニュータイプ論を規定するなと文句を言います、けど文句を言わせるぐらいブッとんだことをしてくれていいんです。それぐらい革新的なことをガンダム宇宙世紀や言ってしまえばニュータイプというものに頼らなくてもできるんです。

 

劇中ミネバのセリフで、人類には早すぎたサイコフレームを生み出した責任としてそれを封じていかなければならないというニュアンスのものがありました。

 

この作品に対する皮肉なのかと思ってしまいました。メタ的な意味としてサイコフレームという大きすぎる設定をユニコーンで広げてしまったせいで、それを後世の作品と繋げるために後始末に追われていたように見えました。その結果の新しいプロローグではなくユニコーンの続編でしかないということです。

 

この後に続くのは閃光のハサウェイ、更にはUC2の構想もあるそうです。今後どうなろうとガンダムは好きなままと思います。しかし続くのであればもっともっと明るい未来に歩いて行って欲しいと願っています。

 

 

 

本当に言いたいことは山ほどあります。ニュータイプ論に関してやフェネクスの矛盾、本当に我慢なりません。

けどこれ以上は人に見せるには耐えられないものになってしまいます。

 

 

そしてなにより最初に述べた通り楽しんでいる人がいるなら、その人たちが主流でいてほしいんです。それはどのコンテンツに関しても強く念頭に置いていることです。

 

 

この辺にしておきます。これ以上の愚痴は僕と飲みに行く機会があれば与太話のついでに聞いていただければと思います。

 

 

それでは。